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ビロード革命

ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアでは国内の政権移譲が穏健に済んだのに対して、当初から国内の改革に全く否定的で共産党が政権の座に固執し続けたルーマニアでの民主化革命(1989年12月の下旬)は、治安維持部隊と市民の間で、衝突が起こり多数が犠牲となった上、指導者であったニコラエ・チャウシェスクが処刑されて幕を下ろした。

すでに1970年代から一部の知識人や反体制派の間で西でも東でもない「中欧」という空間が注目を浴びていた。例えばミラン・クンデラは1984年のエッセイ「誘拐された西欧――あるいは中央ヨーロッパの悲劇」(邦訳は『ユリイカ』掲載)において「最小限の空間における最大限の多様性」である「中欧」と、「最大限の空間に最小限の多様性」であるロシア/ソ連とを対照させ、共産党体制が「中欧」とされる地域にとって異質なものであることを指摘した。

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革命の後にポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチアなど「東欧」と呼ばれていた国々は揃って「自分たちは『東欧』ではなく、『中欧』であると主張し始めた。以降それらの国々の主張に従って彼らを旧共産圏で、ヨーロッパの東側にあったことから単純に「東欧」と呼ぶのをやめ、「中欧」と呼ぶ試みがはじめられている。これは現在でも東欧と語られることの多いロシアと比べても文化的背景が異なっていたことを示している。これは宗教的な面で大きく、これらの地域は同じスラブ人が多く住みながらも

ロシア - 正教会
ポーランド - カトリック
ハンガリー - カトリック
東ドイツ - ルター派
チェコスロバキア - カトリック(一部、ルター派)
ルーマニア - 正教会(ただし国内には、非正教会のマジャル人もいる)
クロアチア - カトリック
スロベニア - カトリック
リトアニア - カトリック
エストニア - ルター派
ラトビア - ルター派
とルーマニア以外では大きく異なっており、そのルーマニアでさえ総主教座は異なっているため宗教的なメンタリティーはロシアから独立していると言ってもよい。特にポーランドにおける初期の状況ではこの宗教性の違いが反ロシアの大きなナショナリズムを生み出すことになった(ポーランド民主化運動参照)。

また、これらの国は歴史的に見て広義的なドイツ語圏の中に含まれている。中でもスロベニア等では現在も公用語としてドイツ語が使われている。歴史的に見てもポーランド南部、ハンガリー、チェコスロバキア、クロアチア、スロベニア、そしてルーマニアのトランシルヴァニアは1918年まで、オーストリア・ハンガリー帝国の領域であったし、東ドイツ、ポーランド西部はドイツ帝国の領域であった。これらの地域にすむ各民族は個々の民族主義を主張しながらも、同じドイツ語圏にあって非常に似通った考え方をしていた事がわかっている。この似通った考え方の一つが、自分たちはヨーロッパ史に参加しているという意識である。

このような彼らに共通する経験が「中欧」と言う意識、あるいは「ロシア」とは異なると言う意識を醸成した。そして「ロシア的」なものは「ヨーロッパ的」ではない。という意識が芽生えてくる。 これらの国々は革命後漏らさずに北大西洋条約機構(NATO)に加盟し(もしくは「平和のためのパートナーシップ」を結び)、欧州連合(EU)に加盟しようとしているが、ここでも「ヨーロッパへの復帰」が強く意識されている。

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2009年04月28日 10:37に投稿されたエントリーのページです。

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